池田屋事件

ここでは管理人の主観に基づいて新撰組に 関する事件を解説していきながら、
私の見苦しいイラストを紹介しておりますb(3。3)
あくまで勉強不足な人間の解説ですので、史実と違う部分もあるかと思います。ですから、
『素人の乱文なんか読めるかぁ!!』『史実とゴッチャになるわぁボケェ!!』
…とお思いの方はイラストのみ紹介のページのこちらへお進みください。
また長文となりますことご容赦くださいませm(u u)m

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@五分前行動を心がけましょうb(3 3)
※なんやかんやあって商人・桝屋喜右衛門を捕縛。拷問にかけると、
彼の正体は不逞浪士・古高俊太郎であること、そして、風の強い日を狙って京の町に放火。
その混乱に乗じて、京都守護職(新撰組の上司・京都治安維持の最高責任者?)である会津藩のお殿様・
松平容保を斬殺。天皇を長州藩に連れ去ろうという計画が発覚。


”不逞浪士たちは古高が捕まったことで計画がくるう。
今後のことを話し合うため急きょ話し合いを持つに違いない。”
そう考えた新撰組は不逞浪士討伐のため隊士を総動員して任務にあたることにする。

しかし!!

この時期出張や脱走、さらには体調不良などで動ける隊士はわずか34人しかいなかった(T△T)
なにをやっているのか新撰組…;このままではさすがにまずいと会津藩に応援を要請する。
応援が到着すれば人数は2000人!!不逞浪士は袋のねずみじゃぁ!!!

午後8時。(待ち合わせ時間)…京都守護職会津藩まだ来ない

30分後。…会津藩まだ来ない

1時間後。…まだ来ない

2時間後。…まだ来n…

おっそいわぁ!!!

年頃の娘ですかぁ!?いったい準備に何時間かかっとんねん!!
もうええわぁ!!俺らだけでやったらぁ!!!

…と、近藤局長が言ったかどうかはわかりませんが(笑)
とにかく会津藩のボイコット(?)により、新撰組34名のみで
不逞浪士捜索をすることになったのです;

(※豆知識だよぉ!!L( ̄□ ̄メ)
…会津藩が来なかったのは、不逞浪士の情報が不確定であり、
もし出動して不逞浪士いなかったら赤っ恥!…どころではなく
京都守護職の責任問題となってしまいます。
なので、『預かり』であり、面倒を見てはいるが直接会津藩とは
関わりの薄い新撰組にだけやらせよう、という魂胆だったのです。
大人の事情は今も昔も変わらないんですよ。)


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